私は地獄の様な民主党政権を望んでいる
前に話したが、保釈されない籠池夫妻にもほんとはあった権利。
しかし、森友学園・籠池夫妻の顧問弁護士は日本政府に買収され、弁護士としてやるべきことは何一つやらないから、夫妻は永遠と勾留され続け、夫妻の周囲には誰一人味方はいなかった。
日本で選挙があると、不正選挙だと民事訴訟が発生するが、裁判では原告側が一言発言する機会さえ与えられることはなく、強制的に閉廷する。私は分かっていた、原告側は弁護団は政府に買収され、台湾の秘密結社ちんぱん・中国共産党の犬であり、それらしく振る舞っている、誰も原告側の市民の味方なんていない、ということを。
こんな状態で、どうやって日本国民に闘えと言えるのか。それでも私は、日本国民が闘えるところまでハードルを下げることは得意分野の一つである。どんなに日本の政治家・学者・評論家が話をすり替え、上手くでっち上げたとしても、最終的には現実に引きずり戻される、という怖さを知るにはよい機会だ。
最近、作家の百田の他人の文字の記録を繋ぎ合わせた歴史本が話題になったけど、今の日本人は、いまの、そして、かつての政治家・学者・評論家・マスコミの文字の記録を信じられるのか。
・・・
2011年3月11日・東日本大震災。
私は北海道で潜水訓練をしていたレイに電話した。津波の影響は無さそうだけど、無事を確認したかったのと、十分、危険性を理解してもらった上でのお願い事があったからだ。
中途半端に損傷してメルトダウンして宙に浮いたままの原子炉の核燃料(試験管)を床に落下させたかった。
原子炉構造・建て屋・原発テロ対応の詳細はミイラを追いかけ続けたら、①でご確認ください。
2018-05-03 20:00:30
【全世界のプラントはじめ建設業界、或いは専門学者の99.9%の人間が、原子炉の基礎のコンクリートは10メートル打ち込んであり、鉛板の厚さは1メートルだと想像出来ないし、それを嘘だと否定した。】
鹿島は福島原発建設当時、メルトダウンを見越して原子炉建て屋の基礎工事を行った。中途半端にメルトダウンして、中途半端に地上で核燃料が溶けて高放射線量を撒き散らし続けるくらいなら、よく溶ける床材の下にある地下10メートル冷凍庫のコンクリートに閉じ込めてしまうことを考えたのだ。何故なら、燃料棒を水で囲うか低温・凍結状態にすると、放射性物質が漏れ撒き散らすことを阻止できるからだ。
福島の3月となると、その基礎コンクリートは床材の真下が-5度ほどで、11メートルまで行くと-13度ほどある。つまり、基礎11メートルのコンクリート冷凍庫は2500度の溶けた核燃料をゆっくりと迎え入れ、事実上、2500度の核燃料を凍らせ、放射性物質を阻止することができる。
そこでレイが率いるSEALSに依頼して、小ダイナマイトで爆破して試験管の核燃料を落下させ、破壊された配水管から7万トンの水が注ぎ込まれたことで水蒸気爆発が発生して、床には核燃料が溶かした穴が開き、地下10メートルのコンクリートに核燃料を閉じ込めた。
一段落すると、レイは頭を傾げ、俺には聞く権利があるはずだと言った。
レイは米軍から受け取った福一の原子炉の図面を持っていたが、何一つ役には立たなかったし、本物の図面はアメリカ軍にはなく、アメリカ本土に問い合わせても無かったからだ。
【【【2016年の春まで日本政府与野党・日本政府系の原子力安全委員会や事故調査委員会など・IAEA(国際原子力機関)には別の図面が提出され、鹿島工法の工事をしていたことは知らなかった。】】】
図面は全世界の物理学者・建設業者・プラントオペレーター企業も持っていない。
世界の同業者たちはIAEAに提出してある福島原発の図面と、自分たちの施工用の図面や設備・資材などの資料により仮説を立て、福島は原子力施設丸ごと半径数十キロメートル爆発すると断定したが、そうはならなかった。
鹿島工法を知っていたのは、国交省と経産省と経済界の一部だけで、あとはアメリカ・総合建設会社のベクテル社のみ。
IAEAも把握していない。
原発建設が浮上した当時、まだまだ日本全国の整備は行き届いておらず、海側の防波堤も堤防も都市部の一部しか整備していなかったので、嵐なんかになると、波打ち際の地盤が崩壊したりと不備は目立っていた。ゆえに、海側建設では原子力発電所の地盤が天災により崩壊して原子炉が倒壊したり露出するリスクは極めて高く、経産省と国交省とスーパーゼネコンは大反対した。元々、原発開発は川沿い開発が主流で、リスクは極めて高い海沿い開発の成功とは程遠かった。福一の着工当時1967年、日本の経済界が懸念したのは原子炉単体のトラブルよりも原子炉建て屋の地盤の崩壊だったのだ。地盤が崩壊したら、建て屋は崩壊してあっさりとメルトダウンしちゃうのではないかと。当時と今のメルトダウンの仮説はまるで異なっていたのだ。
設計はアメリカ主導でスタートした。何故なのか、アメリカから東電に派遣された物理学者が、専門外である建設業の基本設計の構造計算を引き受け、構造計算は世界最大手アメリカ系ベクテル建設会社に引き継がれ、施工用の図面を作成すると、施工担当の鹿島建設に引き継がれた。しかし、鹿島から見た基礎は余りにも問題だらけで、日米人が連日のように取っ組み合いの喧嘩となり、これは幹部同士→日米建設業の衝突を招き、外交レベルの衝突になるが、鹿島は一歩も譲らなかった。なぜなら元々現地は地盤が低いのに、ベクテルが岩盤に合わせて採掘して地盤を下げ過ぎたのだ。海面からの高さは1メートルしかなく、まるで砂浜に原発をつくるみたいだ。嵐が発生して水際の地盤が崩壊する事故が多発している日本で1メートルなんて冗談じゃなかった。鹿島はベクテル社の図面を放棄して鹿島工法へ切り替え強行突破したのだ。
日本政府・経産省・自治体・AIEAは、その鹿島工法の図面を把握していないし、米国当局も把握していないのよ、強行突破したから。
しかし、問題はこれだけではなかった。
読者の皆さんは記憶
あるだろうか。安倍内閣は原発営業をスタートして、昨年末全滅という結果が出たが、(正解には英国は海水発電だけど)営業活動スタート当時、日本の原子炉構造は欠陥だから日系企業は先回りして事情を説明して、全ての商談を潰すと記したことを。
その原子炉構造とは、広島・長崎の核兵器と同じ構造なのだ。
日米原子力協定。
日本の原子炉構造の基本設計はアメリカで、日本企業は米国からライセンスを提供され具現化している。しかし、アメリカ本土の原子炉構造とは異なり、日本の原子炉は欠陥構造で、振動など何かストレスを加えると暴走して爆発するデリケートな構造になっている。(311以降、日米企業協議の上、原子炉にはストッパー工事がされた。米国側としては鹿島工法で良かったと安堵した)
この原子炉の欠陥構造は、広島長崎に投下された核兵器の欠陥構造と同じだと、日本企業団は把握していた。アメリカ合衆国は真実をうやむやにして逃げようとする日本国家に対して、原子炉構造に東北大学の核兵器の欠陥構造をビルトインしたのだ。
この広島長崎の核兵器はアメリカ開発・製造ではなく東北大学→日本開発・製造(いずれも東北大)なのだ。
日本企業は事実を把握していたから、原子炉は欠陥構造ならメルトダウンは避けられないと考え、最初からメルトダウンを想定して基礎工事をした。
レイは言った。
広島・長崎に核兵器を投下したのはどこのどいつなんだ?
(真珠湾攻撃・広島・長崎の核兵器投下の詳細は次の記事です)
・・・
なんで対極東アジアだとほざきながら、日本列島には自衛隊の実務可能な部隊は2つしかいないの?なんで日本政府は今でも国際社会に対して北朝鮮・中国・台湾・共産党・創価の情報を一つもあげてないの?
1999年から中国はアジアの中国領海以外の海で埋め立て工事を開始して人工島をつくってきたのに、なんで日本国民には安倍リベンジ総理まで事実を公表しなかったの?
なんで日本は今でも安保法案は陸のみなの?
なんで日本は中国軍が世界一大量破壊兵器を開発・製造していることをシークレットにしているの?
なんで日本は中国が、悪意のある人工地震・気象兵器の世界一だという事実に触れようとはしないの?
なんで日本は在日コリアン・北朝鮮・中国・台湾・日本の共産党関連と創価について伏せ、刑事事件から遠ざけようとするの?
なんで日本は中国がやりかしていることを、片っ端から報道規制かけているの?
言ってること、やっていることが180度異なるのはなぜ?
なんで世界は、ここまで中国・台湾に関して報道規制をかけてきたの?
【なんで日中戦争は負けたの?】
日本の閣僚はたじろいた。
日本人の常套句が飛び出した。
【太平洋戦争は経済制裁なかったら勝てた戦争だった】
私「そーかー?私が司令官なら勝てたけどね。日本軍の軍事作戦の設計図が敗退を招いたと考えるのが妥当だね。米国に責任転嫁するのやめてくれない?日本の政治家・学者・評論家ってさ、口は出すが責任は取りたくないよね。あとはアナリストとかコンサルとか。そーいう卑怯な行為は態度を改めた方がいいよ。そりゃあ日本軍の部隊を東南アジアあちこち派遣したら、本来は戦闘能力が100あるのに10の力しか出せなかったら負けるわな。沖縄県を突破されたら、本土の部隊は2つしかいなくて圧倒的な強さで攻撃を受けた。東京大空襲のとき、日本軍は一機もアメリカ軍機を追撃しなかったため、世界最大の空爆を招いた。日本人がアメリカのせいにしている姿を見ると虫酸が走るわ。私はね、国民がいない歴史を受容するつもりはない、日本の政治家の面子を守るために構成された嘘の歴史の記述なんて、日中戦争・太平洋戦争は間違っていないと主張するような、めでたいやつではないのよ。日本政府は下心を出して欲張った結果、軍事作戦をスカスカにして、判断を過ったと考えるのが妥当だね。私が司令官で本気でアジアの独立を狙うなら、日本の雁首をぶら下げて沖縄県一本に絞った。日本兵の体力的・精神的な限界値を踏まえ、交戦の期間を三ヶ月として、十分な兵器・機器・物資・食糧を確立して、これらを届けるためのシナリオと軍事作戦の設計図を徹底的に構築してから開戦した。これなら十分勝ち目あったでしょう、違うか? 」
もともと米国は戦争しない国で第一世界大戦は棄権して、経済活動に力を入れて世界一の経済大国になった。米国はあちこちの国で財政再建などをアシストしてて、米国にとっての初めての全面戦争は太平洋戦争・日本なのだ。要は米軍は戦争の素人であったため、最初の半年で結果を出せていたら、経済制裁なんてどうってことなかった。3ヶ月という設定は、当時の武器や軍事機器のスペック・兵士の装備を踏まえると、連続交戦は3ヶ月が限界だからだ。
当時、官財軍の現場の受け止め方はかなり違っていたが、日本政府によるアジアの独立は口から出た戦争の大義名分で、実際の永田町はそんなことは考えていなかった。
日本政府は大阪の商事・食品・製薬メーカーの要求を受け入れ、戦争はそっちのけで、アジアのあちこちに兵士を派遣して鉄道をつくっていた。政治家を動かしたのは裏金で、企業は当時の技術だと保存は難しく、商品はダメになってしまうから、早く目的地まで送るための鉄道に拘った。その結果、日本軍全体の戦死者の80%が不戦のまま、餓死・病死したのだ。熱帯雨林で戦死した日本兵の90%が餓死かマラリア・病死だ。東南アジアに派遣された70%の日本兵は現地入りしたときは既に武器・機器・物資・食糧が底をつき、闘わずして死んで行った。日本から届くはずの兵器・機器・物資・食糧は届くことはないまま、現地で生き抜くために試行錯誤しながら死んでるんだよ。廃材を利用して鉄道をつくらされてさ。全世界探したって鉄道をつくっている兵士なんて日本だけだ。バカなの?この国は。
「戦闘機で突っ込んでも傷しかつけられなかった米国の空母、四艘の内の一艘の空母を陥落させるためにどれだけの兵士が死んでいるのか分かってるの?そもそも空母を陥落させる必要はなかったのでは?更には日本本土で軍部を支えるために、どれだけの国民が死んで行ったか。これを無駄死と言わずして何を無駄と言うの
一体どれだけの兵器・機器・食糧・物資、かけがえのない人命が無駄になったか分かってる?これじゃ負けるに決まってるだろうが。お前ら、バカなのか?」
今だって、本土には実務可能な自衛隊部隊は2つしかいなくて国防はスカスカだ。(軍事強化で侵略を抑制できるという日本政府の主張は真っ赤な嘘です。)
結論からいうと、
【日中戦争は毛沢東と日本政府の自作自演だった。】
アメリカとイギリスが気付いたのは日中戦争の最中で、蒋介石と日本軍が衝突したときだ。(米軍は蒋介石を援護していたが、蒋介石が弱すぎて撤退した)真珠湾攻撃→日米開戦のとき、空母以外は、日米共に武器と軍事機器は互角の数を保有しているのだけど、日中戦争のとき、日本政府は在庫をふんだんに持ち、生産を急ぎ、満州にも生産拠点と格納庫はあったから、日中戦争では、いくらでも武器の補充は可能なのに、まったく補充していない。そりゃあ補充しなければ負けるわな。真面目に戦争していたら、勝てた戦争だったということだ。真面目に戦争していたら、太平洋戦争開戦となれば、兵士・武器・軍事機器は不足して、部隊を立て直すには時間は必要だから、真珠湾攻撃→日米開戦は遅れていた。当時の日本の生産性は30%クラスで(ビスなど部品)100個つくっても70個が不良品だったから、生産性は低く、軍隊を立て直すには時間は必要だったのに、そのまま開戦した日米開戦では空母以外は互角だもん。それって日中戦争は真面目に戦ってないってことじゃん。よくもまあ、日本の政治家・学者・評論家はしょぼい嘘で騙し続けられると思ったよな、甘すぎるのよ。
徳川幕府は幕末までずっと、日本全国の藩に対して1.5%の納税を義務化していたが、家康が天下を取る前に誕生した家康領以外は200年以上の大半を納税していなかった。全国の大名たちは地元の名士に莫大な借金をして贅沢三昧で過ごし、借金返済は難しくなって農民たちに嘘をついた。徳川は厳しい年貢を要求しているから藩はいつも財政難なんだと。農民たちはその言葉を信じて厳しい年貢の取り立てにも耐えた。しかし、薩摩・長州・土佐はじめ全国の藩は限界に達して、もっと、もっと、嘘をついたのだ。徳川を倒したら年貢は引き下げると。しかし、明治政府の現実は、年貢は2倍・3倍となり(明治初年度の国家予算は5000億円ほど)、徳川の納税義務は1.5%だった、(今の日本国民の95%以上は年間所得に対して35%以上を納めている)藩が地元名士に莫大な借金をして返済するための金が必要で国民に嘘をつき、酷い年貢を納めさせていたが、それでも間に合わなくて、また国民を騙して倒幕したと知った日本国民は怒り狂い、大政奉還・明治維新に関わった藩や人物らを手当たり次第に殺害していき、並行して怒った家康領は明治維新に対して納税することはやめた。その結果、日本は明治元年、財政破綻した。
(徳川家康の偉業は過去記事にあるのでご確認を。農作物は腐るのよ、徳川は日本全国の農作物を食べ尽くしていたのか、というはなし。正解は全国の藩は外国船など転売して金にしていた。今の自治体は国からの社会保障を別の予算へと振り替えてつかいこんでいるため、国民には社会保障が届かない。更に安倍は社会保障を削りまくり。)
日本にとってアメリカはずっと敵方ではなかった。
幕末ペリー来航によって、日本が軍事攻撃しないならアメリカはしない、日本は植民地支配しない、という日米条約によって、日本侵略・植民地支配から免れ、以降、イギリスはじめ西洋は米国のやり方に従い、米国の提案である日本の港を外国船の休憩所にすることを賛成し、それは、日本はずっと独立国としてやっていけることが保証されたようなもので、港町が栄えたのは有名な話だ。国際社会を知っていたら、不平等条約ではなく、如何に恵まれていたのか分かるはずだ。
明治突入して完全財政破綻した日本を助けてくれたのはアメリカで、破綻すると貿易国を確保できなくなる、決済では自国通貨は使用できない、外国通貨或いは金銀銅決済になる。そこでアメリカが国連に掛け合い、一部貿易規制解除してもらい、資源の獲得から貿易国の獲得まで米国の手引きで確立した。しかし、明治に入ってからの日本は世界一の独裁政治になって、世界一情報統制(国の検閲をクリアしないと報道出来なかった)され、政治に異を唱える国民や公務員は重刑・拷問、国民の生活は困窮して、日本国民の国外大移住は明治初期から太平洋戦争終結まで続いているのだけど、日本国民はこんな国にいたら殺されると祖国を捨てたのだ。(今でも世界各地に日系人コミュニティはあって、真実を知りたいなら行ってみるといい。如何に今の日本人が政治家・学者・評論家に騙されているのか分かる。都内の写真を持ち出して日本人の生活は豊かだと嘘をつくのはやめろ)それらは太平洋戦争まで続き、一向に改善しない日本は米国から再三に渡り民主化を求められた。
アメリカは日本にとって親であり、目の上のたんこぶだった。いつも日本は米国の眼を欺き狡い事を積み重ね、次第に日本にとってアメリカは世界最大の敵方になっていった。
つまりは日本側の一方的な被害妄想だ。
ポツダム宣言は民主化しろ、ということ。
もうひとつ、大量破壊兵器を引き渡せとあった。
まともな人間なら、ガタガタ言っていないで、法律や制度設計を改正して、国民を支配下から解放してから、ポツダム宣言を受け入れると公式発表するよな。語るな、見せよ。よくもまあ、70年も独裁政治を断行して、それは正しいとほざく連中が、軽々しく、民主化するとか、国民のための政治にシフトするとか、ポツダム宣言を受け入れるとか、言えるよな。その軽さがあるから、今でも日本という国はどこからも信用されないし、信頼されないし、いつもひとりぼっちなのよ。
話は戻して。
そこで米国は国連議会にて、日本の独裁政治・財政状況の実態を公表して、戦争も辞さない考えであることを示した。そして日本は国連議会全会一致で国連加盟国から追放され、財政は破綻しているから金融取引はストップされ、100%貿易規制をかけられた。しかし、日本政府は国民に嘘をついた。我が国の主張が通った、日本は歴史に名を残した、民よ喜べと。そして日本国民はその言葉を信じてしまった。今の安倍内閣が国際会議で活躍していると嘘をついて、政治家・学者・評論家・マスコミが便乗しているのと同じように。安倍はG7欠席を要求されたのに無理やり
って写真撮影だけして帰ったのに日本国民には嘘をつき、マクロンとトランプにツイッターで暴露された。もう、もう、誰が総理になっても日本の総理の席はないよ、どうせまたツイッターで日本の嘘を暴く。
ーーーそんなとき日本政府の話を聞いてやったのが中国・毛沢東だったの。当時の中国は内戦が始まって全面戦争は目前だった。
毛沢東と日本政府の利害関係は一致した。
蒋介石VS日本→毛沢東VS日本という構図で日中戦争をでっち上げ、日本は負けのストーリーを作成した。自作自演の戦争を企てた。
毛沢東は、蒋介石が日中戦争で兵士・武器・機器を失い、最も弱くなったタイミングを見計らって打ち負かして中国大陸を統一する。日本は日中戦争で敗戦したという口実をもとに、アメリカの、世界の譲歩を確保する。、というように利害関係は一致したのであった。
蒋介石「あ~あ、日本の政治はいちいち面倒くさいな。しょうがないから手を貸してやるよ。条件がある。」
幕末、徳川は欧米諸国と条約を結んでいる。日本が攻撃しなければ欧米諸国は攻撃しない。欧米諸国は日本を植民地にしない、日本は欧米諸国の休憩所にする。この条約を解消しろ、それで港で欧米諸国の艦隊相手に商売していた農作物を中国にまわせ。それだけじゃない、日本の食糧を最大限中国にまわせ。
「その代わり、アメリカと戦争になってどうにもならなくなったときは毛沢東が応戦してやるから。そのためには準備が必要だろ」
日本政府「わかった。」
そして日本は条約を一方的に解消した。
密約には軍事機器から武器まで含まれ、太平洋戦争終結以降、兵士・武器・軍事機器が底をついて弱くなっていたアメリカを、毛沢東は日本産の武器で朝鮮戦争→代理戦争でアメリカを打ち負かした。つまりはアメリカを打ち負かした武器は日本のものだった。(植民地支配されまくりの中国が米国に抵抗できるだけの高精度の武器を持っているのがおかしい。当時の旧ソ連・ロシアの武器は底をついていた)
日本の政治家・学者・評論家にとっては考えるまでもなかった。【国民には我慢させろ、】
毛沢東「けどさ、日中戦争はヤバイよ。開戦したらアメリカとイギリスは日中の港を封鎖すると言っているから、日中戦争の自作自演は事変で片付けよう。」太平洋戦争終結以降、日中戦争として判断された。
日本国民は兵隊さんのためだと信じて食べることさえ我慢して、少ない配給で堪え忍んだにも関わらず、実際は日本軍の兵士たちには食糧は届かないまま、戦わずして餓死していったのは、日本の貴重な食糧が中国に密輸されていたせいだった。→日本兵戦死者の8割方は餓死なのは、戦地で畑を耕していたのは、日本から食糧が届いていなかったためだった。
蒋介石は幾多に渡って日本政府に対して、日本と戦争する気はないといってきたにも関わらず、あっさりとたった一人の兵士の遊び心を引き合いにして開戦した。
日中戦争は毛沢東が希望した結果を出すことはできたが、日本はそうならなかった。
余計に世界を敵にまわした。
世界は日本国家を許さなかった。
三国同盟。
日本・ドイツ・イタリア。
ヒトラーは確かに諸外国やユダヤ人にとっては独裁者だったけど、ドイツ国民にとっては、全国民の社会生活を確保したカリスマ的リーダーだった。ヒトラーは幼少期の苦しい日々を重ねた経験により、国民の笑顔は何よりも嬉しかった。そんなヒトラーは、政府が国民を独裁支配し、国民は国に尽くせ、国民は国を守れ、国民は国を守るために我慢するのは当然だ、それを当然だと主張する日本の政治家・学者・評論家のことは大嫌いだった。ただ日本の旧財閥の軍事技術は魅力的だった。アメリカやイギリスを凌ぐ世界最高の軍事技術だ。しかし、旧財閥は嫌悪感を示して交渉決裂、日米開戦直前、ドイツは三国同盟から棄権した。イタリアは日米開戦して暫くしてから棄権したが、最初からアメリカの差し金で、開戦したら適当に棄権していいという指示のもとに参戦したため、あっさりと消えた。
あっという間にひとりぼっちになった日本は慌てた。
毛沢東「こっちは内戦が終わったばかり。応戦の準備には時間が必要。待ってろ。」
日本政府は毛沢東の言葉を信じて、片っ端から日本軍の部隊を東南アジアへ派遣したため、日本列島には2つの部隊しかいなかった。アメリカ軍に沖縄県を突破されても、広島・長崎・東京が徹底的に攻撃を受け、なおかつ兵士・武器・軍事機器は底をついているのに、日本政府は連合軍の全ての要求を受け入れ無条件降伏するつもりはなかったのは、毛沢東は応戦すると信じていたためだった。
日本政府が昭和天皇の無条件降伏を阻止しようとしたのも、毛沢東の応戦を信じていたためである。
太平洋戦争終結してから、毛沢東はとうとう本性をあらわした。
アメリカに対して日中戦争再戦を言って来たのだ。
主張はこうだった。
紀元300年中国大陸は西日本を植民地支配しているのと、沖縄県は明治から今日まで日本の領地ではない、中国の領地だと言った。
永田町は発狂した。
最初から、毛沢東が日本を植民地支配するための罠だったと、このとき初めて日本の政治家は気付いた。しょぼい武器しか持たない毛沢東は日本の軍事技術が世界最高だから、最初から日本と本気で開戦したら負けると分かっていて、日本の兵士・武器・機器が底をつき、最も弱るタイミングまで待ち、そのまま軍事介入して植民地支配するつもりだったのだ。
日本政府は不味いと思った。
日中戦争開戦の前、毛沢東と密約を交わしていた。
中国(大陸)と日本は連合国として一つになり、共に白人社会と戦い抜き世界を平和にしようと。
それが、これまで何度もブログで繰り返してきた、
【【【日本は中国になる。】】】
朝鮮半島は朝鮮省。
西日本は東海省。
中部・東海~北海道までは日本自治区。
である。
永田町は気付くのが遅すぎた。
日中戦争・太平洋戦争のフィクサーは中国・毛沢東だったのだ。
朝鮮戦争でマッカーサーが応戦したのはこのためで、中国は危険過ぎると判断したマッカーサーは日本軍を解散したのに再び自衛隊を結成した。しかし、アメリカは朝鮮戦争で事実上の敗退をして、毛沢東は言った。日本の真実を公表さ
たくなければ、中国の指示に従え。中国の悪事については一切問題提起するな。中国の悪事の罪は西側諸国でかぶれ。約束を守るなら中国は日本の史実は公表しない。
もし、日本が真面目に日中戦争を戦い、勝利して毛沢東を叩き落としていたら、今のアジア問題は存在していなかったかもしれない。
そして日中は国交断絶して、当事者不在の事実は闇へと葬られていくことになるが、GHQが日本上陸する直前、日本政府は霞ヶ関に命じて肝心な記録を片っ端から焼却させていたのに対して、霞ヶ関は別の場所に保管したのと、家康領の名士らは保管を続けて、人伝えに先祖代々、受け継がれてきた。もちろん、アメリカ・イギリスはじめ連合軍・アジア諸国・ロシアは正解に把握していた。時を経てベトナム戦争の終盤では、再び日本は毛沢東に騙されることになる。それが、リベンジ太平洋戦争を願った田中角栄だ。田中は三井系に秘密で地雷を発注して、それを毛沢東に献上して北朝鮮へと渡り、ベトナムにばらまかれ、天災の影響でカンボジアまで流れ着き、今でも苦しめているが、その地雷はアメリカだということになっているのは日本のみで、その日本では、アメリカ軍基地は日本人の傭兵を募集して、大勢の日本男子はアメリカ兵としてベトナム戦争へ行き、二度と戻ることはなかった。田中角栄のもくろみはあっさりバレて米国と東京地検に潰されてしまう。アメリカに田中角栄のもくろみを通報したのは日米開戦を反対した日本の外務省であった。
日中国交正常化において、日本政府は船舶で中国に置き去りにされた日本人を迎えに行くことを決定したが、日本政府はやましこといっぱいあったから、中国では報道規制かけられ、肝心の日本人の大半は迎えに来ているとも知らないまま、無かったことにされ未だに取り残されている。
大戦以降、日本は米国の傘下で10年に満たない時間の中で米国・英国の1000兆円の支援(借金)のもと財政再建して金融システム復活、連合軍の支援により不発弾5000発の回収、連合軍が買い付けた建材により被災地の復興、日本の貿易国は一つもなかったのに、アメリカ系建設会社グレイ社の支援のもと米国との貿易スタートした。しかし、アジア諸国の反発は尋常でなく、加害者の日本だけ救済されるのは不当だとして、大戦以降、仕事で東南アジアに入国する日本の官財は激しい反発にさらされ、45年間に渡り、大勢の犠牲者を出したが、日本では一度も報道されることはなく、私が社会へ出た当時も日本への反発はかなりあった。アジア諸国が怒ったのは仕方なかった。日本のアジア独立を真に受け、白人社会の植民地支配から離脱したが、何十年にも渡り破綻状態から抜け出せなくなった国が大半であったからだ。
朝鮮戦争が勃発した当時、マッカーサーは在日米軍を撤退させ、朝鮮戦争へとシフトしようとするが、全力で止めたのは日本国民であった。日本国民はアメリカがいなくなったら、また日本は酷い国になる、そんなのはやだと懸命に止め、都内にあるGHQ本部前のデモは拡大し続け、混乱はより極めていった。観念したマッカーサーは日本国民の欲求を聞き入れ、そのまま日本駐留の継続を決定するが、米国にとっては、日本を軽く扱うことは出来なかった。明治維新は沖縄県と北海道・北方領土の国連手続きにおける領土認定をやっていなかったのだ。(沖縄県・北海道の詳細は過去記事にあるのでご確認を)薩摩・長州・長州・明治維新の特徴は、とにかく素人尽くしで、いても10年間イギリスで勉強してきたくらいの話で、実務や成果という点では何一つなく、国連の手続きは必要だと知らなかったため、自称・日本の領土だってことは知らなかったのだ。東京裁判では、この素人ぷりが散々指摘されるが、日本の政治家は口を揃えて言った、だって知らなかった、だって知らなかった、俺は悪くない!、知識と経験不足で知らず知らずのうちに山ほどの国際法違法を積み重ねていたのだ。
幕末、日本を植民地支配しない、日本は外国船の休憩所にすることを欧米諸国が受け入れたのは理由があった。それは日本が世界の雛型で、世界の縮図であり、日本で悪いことが起きると世界で起きる、日本で良いことが起きると世界で発生するためで、世界の重要なポジションにいたため保護の役割もまたあった。
太平洋戦争では、日本には年長者と女と子供しか残っておらず、国民にとっては戦争に駆り出されたら、二度と戻れないことは常識としてあり、日本国民は家族の死亡の知らせが届くと、それを信じて疑わなかった。ところが終戦後、イギリス軍はじめ連合軍の大艦隊で日本兵は続々と帰還して家族のもとへ戻り、日本に取り残された年長者・女と子供たちを、あっといわせた。イギリス軍は戦時中、最小の軍事介入しかやっておらず、日本兵を捕虜として保護しては、連合軍はじめアジア諸国に依頼して、終戦まで日本兵をかくまってもらいながら、日本側には死亡したと知らせていた。ゆえに現役の男性を確保出来なくなった日本は、てっきり日本兵を確保できないものだと解釈して、若い若い青年をカミカゼにした。
イギリスとしては、日本みたいな戦い方をしていたら、子孫繁栄は途切れてしまうため、日本政府を諦めさせるために日本兵を死亡したことにした。イギリスの粋な計らいがなかったら、日本は太平洋戦争終結の段階で子孫繁栄は不可能で、戦後の日本は存在していなかった。アメリカとイギリスは日本人の子孫繁栄を繋ぐためなら、どんなことだって、やれることは全てやってきた。今だって、イギリスのストリートチルドレンは13万人だと発表されたが、アメリカはもっといて、それでも日本国民を最優先にしている、それは日本は世界の雛型であり、縮図であるためだ。
終戦を迎え、イギリスはじめ連合軍の大艦隊で帰還した日本兵を迎え入れた日本国民は兵士の存在を幽霊だと勘違いして驚きを隠せなかった。日本兵は元気よく帰還して、連合軍から支給された大きなリュックサックには沢山の食べ物と、家路につくための交通費と、日本兵は一人ずつ連合軍からのプレゼントのリュックサックを担ぎ、そのリュックサックをおろすとチーズを取り出し、日本の港の闇市で売った。ここだけのはなし、イギリスのチーズは石鹸みたいで不味いんだよ。捕虜のときは大丈夫だったの?取り調べは数十分、有罪判決、1日正座して反省すること、あとは日英の階級やベースキャンプの柵や拘束はなく、掃除や炊事や洗濯は日英兵士で分担して、日中はベースボールとか対抗戦や
たりして、ひたすら終戦を迎えるのを待っていた。
しかし、お国のために死ぬことをしなかった帰還兵はよく思われなかったし、妻が弟と再婚していたり、自宅には居る場所がなくなっていたりと、日本兵にとっては戻ってからが大変であった。
リーマンショック以降、麻生内閣から民主党政権へ移行するが、永田町におけるリベンジ太平洋戦争・中華系と日本の連合国誕生の準備が始まった。小沢は何百社の日本企業を連れて中国へ行き、中国への日本企業の技術の流出の仕組みを構築して(自民党の二階が引き継ぐ)、鳩山・菅・野田へと、自ら米国ロッキード社へと接触して、ステルス戦闘機F35はじめ数々の武器と軍事機器を買い付け、そこから中国への技術流出を開始する。日本政府案件(公共事業)は堂々と北朝鮮・韓国・中国・台湾の企業が落札して、日本のインフラ支配を進め、軍事産業を支配していき、弁護士の国籍は日本ではなくとも良くなったし、中華系・在日コリアンの優遇処置は着実に進められ、日本国内は中国の工作員だけでも10万人になった。永田町はリベンジ太平洋戦争・日中連合軍を視野に入れるようになる。永田町が罪から逃れるための準備には余念がないのは当然であった、やってはいけないことをやったのだから。日本の官財B派は米国・イギリスはじめ連合軍・ロシアに通報した。
しかし、リーマンショック当時も今も、中国は日本と連合軍を結成して国連軍と開戦する気なんて更々なく、永田町はまたもや中国に騙され、うまく利用されているだけである。それと反対に中国共産党と台湾の秘密結社のちんぱんは、日本の政治家・学者・評論家を押し退け、欧米のB派・日本の官財B派に対する度重なる接触は増していくばかりだ。
今から20年近く前かな、都内で騒ぎが発生した。
日曜日の午後で、TBSがとんでもないドキュメンタリー番組をやっているから観ろと電話がきた。内容は、戦時中、東北大学が核兵器の開発を成功させ、ウランを確保できない先生たちは裏山でスコップで土を掘っているが、大戦後、ラボ丸ごと忽然と姿を消して、後を引き継いだ先生たちの話までになっていた。私はどこの誰が東北大に核兵器に必要な核燃料を提供したのかを知っていたし、先生たちはどこへ行ったのかを知ってた。永田町は気が狂ったようにTBSに対して怒り狂い、今すぐ放送をやめろと抵抗して、TBS本部前は騒動になったが、最終的には全て放送された。
今となっては、誰の差し金で番組は作成されたのかは分からないが、実際の日本では複数の研究所で核兵器の開発は成功して、GHQが日本上陸すると全て没収されたが、東北大学の図面と仕様書・部品や核燃料などは回収出来ないまま、今でも米国の記録では捜索中になっている。
問題は始まりに過ぎなかった。
広島・長崎の原爆投下はアメリカ軍ではない、ということは毛沢東もまた把握していた。
大戦後、中国はアメリカとイギリスに対して言うようになった。
日本の真実をバラしちゃうよ、公表していいの?
あなたにぴったりの民主党政権があると良いね♪
民主主義を僕が信じない理由に『大衆』の自由でいい加減な思考と行動がある。民主主義の恩恵は、それがあるからファシズム政権を誕生させる可能性がある。民主主義の恩恵は悪魔が背中合わせにあるのです。ドイツのナチズム、イタリアのファシズムを見れば明らかです。
大衆は自分たちの拠り所を失えば、知識人に期待しません。起きている危機的問題に対して、自信をもって答えてくれる対象に拠り所を見つけるのです。知識人のような上から目線のものよりも、大衆の叫びに反応し、響くように応えるものに大きな期待をする。たとえそれが非合理的な中味のない激情に近いものであってもです。
本来は冷静に大衆をいましめる責任を負っているのが知識人でなければならない。
しかし、日本の知識人は専門馬鹿ですから、人と社会を俯瞰出来るものが少ない。民主党政権誕生前夜の彼らの論調は、大衆の愚かさを後押しするようなものが多かった。あの時、真に知識人らしい冷静な分析と大衆をいましめる姿勢の人が何人いたであろうか・・・
民主主義の美点をあげるとすれば、自分でものを考え行動する事であるが、どうもそれは大衆の中の少数だけのようです。凡そは自分でものを考えず、周りの空気に合わせる事によって、安心するというものらしい。
民主主義に宿る悪魔の危険性から、日本民族が自らを護るのは、神聖なる天皇を日々の中に意識することです。意識しておればこそ、民主主義は宿る悪魔の危険性を封じられるのです。
民主党政権 おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
が政権復帰してから6年を超え、自民1強の状態が続いている。与党の強引な国会運営などの弊害が指摘される一方、野党は「多弱」の状態だ。夏には参院選があるが、最大野党のは政策や理念を強調する「単独主義」をとり、野党共闘に距離を置く。与党に対抗する野党の役割は何なのか。与野党いずれも経験した政界の重鎮に聞いた。
■理念と協調、バランスを 対案よりも徹底的に批判 ・元
――野党が政権与党に対抗するために何が足りないと思いますか。
いまの野党の最大の課題は、選挙に弱いところにある。風向きだけで議席を得ているような政党であれば、その風がやむか、向きが変われば力は出ない。どんな風が吹こうが、議席をしっかりつかんでいる人間をどれだけ持ち、育てるかが、野党の最初の仕事だと思う。
与党は首相を擁し、自分の都合の良い時期に解散する。その時期に合わせて自分にプラスになる政策を出せるという大変な戦力を持っている。与党には財界など業界団体から支援があるが、それ以上に、選挙に対する執念が違う。集票のための執念だ。選挙に対する執念がないと野党連携の際に「誰と組むのはいいが、誰とは組みたくない」となる。
――最大野党のは、参院選では野党共闘よりも党の政策理念を優先しているようですが。
それはある程度は理解できる。特に新しい政党だと自分の理念を明らかにして、自分の支持を得ようとする気持ちが非常に強い。でも選挙となったらそれは無理だ。理念を大事にすることと、選挙で他党と協調することとのバランスを考えなければいけない。一方的に理念を主張していたのでは孤立してしまう。孤立すれば、政治的に無力になる。
1986年にがに合流した時、首相から「これでレフトウィングが広がった。良かった」と言われた。政権を担うにも、野党が政権与党の暴走を止めるにも、できるだけ戦線は広い方がいい。
――昨年の臨時国会で、野党は「日程闘争」に消極的でした。
日程闘争は非常に大事で、通常国会も1月25、28日ごろ召集するとの情報があるが、予算案の審議時間が短くなることがはっきりした。これは徹底的に戦わなければいけませんよ。その場になって言うのではなく、今からなぜ召集が遅いのかと言うべきだ。(22日からで開かれる)世界経済フォーラム()への出席やロシア訪問が理由のようだが、などは週末など日程があえば行けばいい。日ロ交渉は大事だが、そのために国会日程を犠牲にするのは国会軽視だ。
――が長期化する中で、野党の役割は何でしょうか。
民主主義は野党の存在なくしてあり得ない。民主主義は最終的には多数決だが、その前提にあるのは、少数意見の尊重だ。少数意見の尊重を飛び越えていきなり多数決で決めたら、それは民主主義とはいえない。
権力を1カ所に集中して、民主主義がうまくいくとは思わない。一番懸念しているのは、この1、2年で公務員の国会での答弁拒否や公文書改ざんの問題が続いていることだ。公務員の「1丁目1番地」は国民全体の奉仕者であること。いま公務員は特定の人に対する奉仕者になってしまった感がある。なぜそうなったのか。国会でもっと議論しなければいけない。
――国民民主党は、反対するだけでは主張が通らないとして「対案路線」を掲げています。
与党が暴走している時は、とにかく止めることが第一。対案を出してどうするか、じゃなく、それはやるな、という戦いなんですから。野党は政権党を倒すことが役割。徹底的に政権党を批判しなくてはいけない。
――立憲については、参院選で国民民主党を「解体」し、次の衆院選で勝負する、との見方がありますが。
立憲が政権を狙うなら、10年先を見据えて政党の足腰を強くする必要がある。代表は「俺の後についてこい」ではなく、当選した若手をどうやって育てるかにもっと熱心にならないと党は育たないと思う。10年先の代表が枝野氏とは限らないでしょう。(聞き手・倉重奈苗)
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こうの・ようへい 1937年生まれ。67年衆院議員初当選。76年、政治倫理確立を掲げてを結成。86年にに合流。宮沢内閣でを務めた。93年に野党・の総裁になり、94年に政権で政権復帰した。2003~09年、。ハト派の代表的存在として知られた。09年議員引退。
■権力つかむ執着心必要 参院選、最低でも統一名簿 ・代表
――与党の国会運営に批判が集まる一方、は4割程度を維持しています。なぜでしょうか。
国民からみてに代わりうる、政権を担う野党がいないということだ。何となく与党、現職(がいい)となっている。野党の態勢が整っていないということが有権者側から見ると最大の問題点だ。
――野党には「の数合わせ」に否定的な見方があります。
数合わせを悪いイメージで捉えるのは間違い。結局、民主主義の基本は数だ。確かに手間はかかるけども、国民のその時々の意思を反映してやるから、歴史的にも大きな過ちをおかさない。
個別の好き嫌いだの、経緯だのを気にして「一緒になれない」とやっているのは、あまりに幼稚だ。を見なさい。極右からリベラルまで一緒にやっている。も(支持母体の)もとずいぶん違った意見を言ってきたはずなのに、一緒になっているんだから。
――野党に足りないものは何でしょうか。
執念と志が欠けてるということだろう。かつては、を引っ張り込んでまで政権を取った。このしたたかさ、執着心が必要だ。権力をつかめなければ国民のための政治をすることはできない。民主主義政治では権力は主権者から与えられ、主権者のために活用する。権力がなぜ必要か理解できていない。
――最大野党のは、党の独自性や理念を重視しています。
が(2003年に)民主党と一緒になったのも、別に民主党(の理念・政策)を是としたからじゃない。(合併前の)のときが一番やりやすかった。だけど、それでは過半数にならない。中間層を取り込み、政権を取らなければ。こういう思いで一緒になった。
――立憲の代表に考えを伝えたのですか。
野党第1党という立場にある人・政党が旗を振るのが常道だ。僕はずっと枝野代表に「みんなまとまんなきゃならない。あなたが旗を振るべきだ」との趣旨で話してきたし、「我々もいつでも参加する」と伝えてきた。何回か会談したが、最終的に「自分たちだけでやる」とのことだった。
――昨年末は衆院会派「無所属の会」や参院の無所属議員らの立憲への入党・入会が相次ぎました。
いいことだ。だが立憲の方が選別していてはダメだ。それでは「排除の論理」になってしまう。入りたいという人は入れればいい。そうしたら枝野代表は総理になれるだろう。
――立憲には国民民主党と一緒になれば旧民主党政権の負のイメージがつくと懸念する声もあります。
それは違う。政権で失敗したら、もう1回やらなければいけない。国民民主党は放っておけばどうせ潰れると思っているのかどうかは知らないが、それでは結局、野党全体が潰れてしまう。野党が結集して力を合わせるという、その姿が大事だ。
――今年の参院選をへのステップにするには何が必要ですか。
最低でも(野党の比例名簿を一つにする)統一名簿だ。16年の参院選で1人区は全部(野党系候補者を)1人に絞ったが、(11勝21敗で)3分の2取られた。惨敗だ。野党が一つになったら相乗効果があり、も上がる。(投票に行かない)眠っている人が出てくる。その人たちは過去の民主党(政権)のことももちろん頭にあるが、それ以上にに対する不信感や不満感、批判が強い。
今年は政治的、経済的にこのまますんなりといくという情勢ではない。政権基盤自体が非常にもろい。単純に野党が合わさっただけで勝てる。国民は野党が一つになって、選挙戦に臨んでくれないかなあという思いだろう、ほとんどの人が。(だが現状は)ああそれなのに、それなのに、ということだ。(聞き手・河合達郎)
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おざわ・いちろう 1942年生まれ。69年衆院議員初当選。時代に、幹事長を歴任した。93年に離党、政治改革を掲げてを結成し、細川連立政権を樹立した。新進、自由、民主各党の代表などを経て、2009年、代行のときに再びを成し遂げた。12年、に反対し離党。現・代表。
昨年12月の記事からですが。#小澤俊夫 名誉教授の分析より。(征爾さんの実兄)今も昔も、政府の「言葉ずらし」一覧。https://t.co/jDQnfEKnok参照元:… https://t.co/6yAksi2gMk
民主党政権 関連ツイート
民主党もでしたね
まさに暗黒時代だったんだな、民主党政権時代は…。
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