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まこと 私、脱いでもすごいんです
~友人の奥様より~
「全き者」、「完全な者」とは?
神は私たちに「全き者であれ」(創世記17章1節)、
「完全な者となりなさい」(マタイ5章48節)と言っています。
しかし、これは神の力によってということなのですが、私たちは一生懸命、肉の力で頑張ってしまい、
疲れ果ててしまうことがあるのではないかと思います。
今までのひとしずくにも、そのことについて書かれていますが、
ちょうど最近、榎本保郎さんの「旧約聖書一日一章」の中の、
「全きものであれ」について書かれているところをデボーションで読んで、
「全き者」、「完全な者」になるとはどういうことなのか、
理解しやすいと思ったので、皆さんにも分け合いたいと思いました。
以下は「「旧約聖書一日一章」(榎本保郎著)より
***************
私は全能の神である。あなたは私の前に歩み、全きものであれ。
(創世記17章1節)
アブラハムは九十九歳のとき、主から、
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」との言葉を聞いた。
九十九歳の老人に向かって、「全き者であれ」とは非情な言葉のように思われる。
しかし、神とはこのようにどのような人に対しても大きな期待をかけたもうかたである。
私は年寄りだから、私はまだ若者にすぎないから、(エレミヤ1章6節参照)、
私は口の重い人間だから(出エジプト4章10節参照)、私は忙しいから(ルカ14章15-24節参照)と、
私たちは自分の状態に固執しやすい。
しかし主はただアブラムに求めるだけのかたではない。
主は彼に向かって「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」と求めたもう前に、
「わたしは全能の神である。」と宣言しておられる。
アブラムもこの主にあってはじめて全き者となり得るのである。
人はみなこの全能な主にあって、その偉大な力によって強くされるのである。
(エペソ6章10節)
その全き歩みもまた主からいただくのである。
「がんばり信仰」というのがある。
神のご期待に添うような人間になろうとして、四六時中がんばり、緊張して生きる人のことである。
このような「がんばり信仰」は私たちを人に対して傲慢にし、自分に対して絶望させる。
神は九十九歳のアブラムに向かって、がんばって「全き歩みをせよ」と言われたのではない。
ご自身の全能の力によって、全き歩みをせよと言われたのである。
どんな人も主にあるとき、その人は全き歩みをすることができるのである。
私は、Wという、主にあって愛する姉妹を知っている。
彼女は三人の年子の子をかかえ、経済的にもあまり恵まれない状態で、
転々と住まいを変わる不安定な中で、必ず誰かに福音を伝え、教会に導いていた。
それは私たちの想像をこえた戦いであった。
同信の友からさえ「それほどまでにしなくても」とささやかれることもあった。
でも、彼女にとって神を知らずに迷い、苦しむ人を見るとき、
どうしても信仰を宣べ伝えずにはおれなかったのである。
しかし、彼女がこのような生活に徹するほど、神よりの豊かな慰めといたわりを受けていた。
その姿はまことに美しいものであった。
神は、アブラムに、「全き者であれ」と求めたもうたように、
今日あなたにもそのことを求めておられるのである。
それゆえに、たといあなたの状態がどんな状態であろうとも、目を天に
け、
全能の主を仰いで主のご期待にこたえるものになろうではないか。
そのとき私たちもアブラムの子孫として、その栄光にあずることがゆるされるのである。
信仰とは神によって神に生きることである。
―以上「旧約聖書一日一章より」
***************
「全き者であれ」の言葉の前に、「わたしは全能の神である」とあります。
私たちはこの全能の神によって全き者とされるのですね。
自分の力で全き者になろうとして、「頑張り信仰」をしなくて良いのです。
それを主の力によって、主の恵みによって、主に成していただく。
それゆえに、全て成されたことは私ではなく、主に栄光が帰されるのです。
自分の道を歩むなら、決して全き者になんてなれません。
主にあって全き道を歩むことができるのです。
この全能の神に頼って歩めるということは、何という慰め、励ましであることかと、
主に感謝せずにはおれません。
<祈り>
主よ、私たちはどうも、すぐに「頑張り信仰」に陥ってしまいます。
どうか「頑張り信仰」から脱却し、「全能の神に頼る、していただく信仰」のモードに
思いを切り替えて歩むことができますように助けてください。
全能の神であるあなたの力と、憐れみと許しに頼り、我が神、我が父よ、という心を持って、
あなたの戒めに生きるのを助けてください。
イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン。
最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
(エペソ6章10節)
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この「全きものであれ」という言葉と、下記のサラユーの使った「彼の中にあって」
という言葉が同じであるように思いました
つまり、神様との関係性の中において、全きもの、彼の中に、生きるということですよね
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o
(マックとサラユーの会話 p272~274より)
マックは漕ぐ手を止めて、オールを波に遊ばせた。
「関係性の中で生きるってーーつまり、あなたを信頼して話しかけるってことですがーー
ただルールに従うよりもややこしいようだなぁ」
–中略ーー
「聖書にはルールに従いなさいなんて教えていませんよ。
聖書はイエスを描いているのです。
聖書の言葉は、神とはどのようなものか、さらにはあなたに望んでいるものを
示しているように見えるでしょうが、どれもあなた一人の力では出来はしないの。
生命も人生も「彼の中にあって」、他のどこにもありはしない。
まさかあなたは、自分一人で神の正義を生きられるなんて思ってはいないでしょうね?」
「いや、まぁ、そう思っていたかも・・・
だけど、ルールや原則の方が、関係よりもシンプルだ。それは確かでしょう?」
ーー中略ーーー
「マッケンジー、宗教で大事なのは正しい答えを得る事だし、
宗教が与える答えの中には正しいものもあります。
でも、わたしはあなたを生きた答えに導くプロセスなの。
生きた答えに行き着けば、あなたは内側から変わるでしょう。
頭にある正しいことを言う賢い人はたくさんいるわ。
その人たちは何が正しい答えかを教えられていますからね。
でも、わたし(聖霊)のことは全然知らない。
それじゃ答えが正しくたって、その人たちが正しいと言えるかしら?
わたし(聖霊)のことばの流れがわかる?
その人たちは正しいかもしれないけど、やっぱり間違っているのよ」
ーーー中略ーーー
二人はそのまま流れに乗ってカヌーを漂わせた。
---
「いつかまた、あなたに会えますか?」
---
「---あなたは今迄とは違ったやり方で、聖書の中にわたしを見、わたしの声を聞くでしょう。
ルールや原則を探すのはおやめなさい。関係を探すの。
わたしたちとともにいる方法を」
ーーー中略ーーー
「それじゃ、真実の中で生きるのを手伝って下さい。お願いだ」
マックは声を大きくして言った。
「これが祈りってものなのかもしれない・・・」
彼はそう思った。
(抜粋おわり)
感謝します
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o
今日は孫の小学校入学式
おめでとう友達いっぱいできるといいね
孫のお祝いに、ほんの少しだけど
都内だと当日配達できるので荷物を送ろうと想ったら・・・雨が降り出した
でも、とにかく送ろうと荷物を積めて外に出たら・・・止んだ
自転車の後ろに括り付けて急いで走る・・・お客様が満員・・でも、9時の配送に間に合う
家に帰って来たら、又
なんて素敵
チューリップも咲いたよ
今日もありがとう~
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
(友人の息子さん、Y君(23歳)のブログです)
絵本はこちらで全文読めますよ~
「愛の物語」絵本
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