全く関係 はてしなく自然飲料を追求する
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はじめましての方はまずを❤︎❤︎❤︎
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おはようございます
よく食べ、よく寝てます!
健康万歳!堀あおいです。
さて、
「カウンセリングは辞めちゃったの?」
「そっちの調子はどう?」と
聞かれることが多いので、今日はそれについて書くことにします
カウンセリングのお仕事は今も続けています。
現在は殆どがリピーターさんで、ご新規さんは少ないです。
自分がインストラクターの仕事に追われてしまうと、その時間が取れないので、今は月に回数を決めて行っています。回数がむちゃ少ないのでほぼリピーターさんで埋まってます。
最近、記事を書かなくなった理由は、以前、詮索されたことがあったからです。
「あれってもしかして、あの人のこと?」
「これはきっとあなたの話だよね?」などと、聞いてまわる人がいたようで、クライアントさんを守るためにも、ブログにお茶の写真を載せたり、相談の内容がわかってきまう内容を書くのは控えようと思いました。
特にそれで大きな問題が起きたということは無いです。
なんとなく私が、そういうのメンドクサーって思って、今は書くのを控えております。
カウンセリングのクライアントさんは、フィットネスに関わる人もいれば、そうじゃない人もいます。
(勝手な推測は別として)個人を特定されたことは今の一度だってありません。
文章とは面白いもので
書かれた記事を読んで
自分に向けて書いてる と感じる人
あの人に向けて書いてるんだと感じる人
みんなに向けて書いてるんだと感じる人
ポジティブだと感じる人
ネガティヴだと感じる人
正しいと感じる人
間違ってる!と感じる人
面白い!と思う人
ツマンネーと思う人
何にも感じない人 …
色々いるんですよねー。
それが当たり前で、それが普通だと思います。
そして、私はそれが楽しいと思っています。
ブログは好きなことを、好きな時に、自分の好きな言葉で書けるところが好きです。
そしてもちろん、このブログは特定の人に向けて書いているわけではありません。
書くときは、読んだ人が何かしらを感じてくれたらいいなと思って書いています。
「わかるわかるー」でもいいし、
「私はそうは思わないなー」でもいいんです。
まるで、私と会話をしているかのように読んでもらうのがいいなと思っています。
クライアントさんはみんな「記事にしていいよ〜」って言ってくれますし、読者さんより「カウンセリングの記事が好きだよ」との声もいただいていますが、自分が発した文章で、誰かが傷ついてしまうとか、クライアントさんが不安になってしまうとか、全然関係ない人が、あらぬ疑いをかけられてしまうとか、そういう可能性のあることは、自分からわざわざしないほうがいいなと思ったので、最近は記事を控えているわけです。
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これは実際にあった話で、お会いしたことない人から「あの記事は私のことでしょう!言いたいことがあるなら直接言いなさいよ!」的な怒りのメッセージが来たことがあります。 (もう2年くらい前だから時効だと思って書くけど、無視したけどww)
たまたまこの人のブログに、私が「いいね」をしてしまったようです。(それもよく覚えてないのですが)
その後に書いた記事が、どうも癇に障ったようで「私のことをバカにしてんのかー」と、なったようです。笑
いや、、、
まず、誰だ、おまえ、、、 ww
ぶっちゃけ、全く関係ない人に、絡まれるのメンドクサイじゃないですかww
でも、
絡まれたって、なんだって
何が何でも
伝えていきたいんじゃーーー!
って思ったことは、伝えますよ。
えぇ、そんなの無視して書きますよ。
でもまぁ、出来るだけメンドクサイことは避けときたい←という、私のメンドクサイ根性がそうさせたんでしょうね。笑
最近はカウンセリングネタよりは、毎日ルンルンのフィットネスネタに集中していますね
リクエストあれば書きます。
あと、時間があれば←
カウンセリングネタはどうしても長文になりがちなので、ゆっくり時間が取れた時に書きたいと思いがち。
と。言うわけで今からZUMBA1曲覚えます。
全く関係を見たら話さなくていい。好きなふたりは、行ったり来たり。
エンパスという言葉があります。
例えば近くでイライラしてる人がいたら、全く関係のない自分が意味もなくイライラというか、重くるし〜い感じがしてくるのです。
逆に言うと、相手のエネルギー状態が分かったりします。
要するに風邪みたいに伝染して相手と同じしんどさが移るんです。
これを誰かがエンパスと名付けたようです。
ボクもそんな感じなので昔はエンパスエンパスと言ってましたねー。
実際エンパスと言われる症状の通りだし、どうすることも出来ませんでしたから。
症状がひどい時は3日くらい寝込んでましたしね。
でもいつからかこのエンパスって言葉にとても違和感を感じてきたんです。
自分がエンパスだと言っていた時の事を思い出すと、どうしようもないし分かってもらえないからエンパスなんだって自分に納得させたい気持ちがありました。
そして自分はエンパスだと認めたり人に言ったりすることで言い訳じゃないけど、そんな感じだったと思います。
でもね、なんか気持ち的にスッキリしないというか、エンパスですって言ってる自分に違和感があったんですね。
あるときその違和感の正体が優越感なんじゃないかと、たしか本かネットでヒントがあったんです。
そしてよーーーくその時の気持ちを分析してみると、自分は人とは違う能力なんだという優越感みたいなもがありました、、。あったんです!認めたくなかったけど、そうでした。残念ながら、、、
だからね、ボクはエンパスという言葉を自分に使うのはやめました。
要するに共感力ってグラス🥂でたとえると、グラスを2つ並べて片方をスプーンでチーン!って鳴らしたらグラスが振動で震えますよね?
その振動がもう片方のグラスへ伝わって共振共鳴するシステムだと思うんです。
(こんなイメージかなー。)
2つのグラスが同じだけ水が入ってたら振動数も似たような振動なので心地よく共鳴できます。
でも、片方のグラスが水が多くてもう片方のグラスにはあまり水が入ってないという落差があった場合、チーン!って鳴らすと不協和がでます。振動数が合わないからなんですね。
水の量が違いすぎるからです。
その水の量の差が大きければ大きいほどしんどくなるんです。たぶん、、
花粉症と似たようなもんかなぁ〜
かかる人はかかるし、かからない人はかからない。
要するに人より少し過敏なだけだと思うんです。
その違いだけでエンパスという症状は特別なことではないんですね。
だれでも等しくこの能力は備わっていますから。
社会に出ればいろんな人がいます。
電車に乗ればマナーを守る人もいればそうでない人もいて当然だとおもいます。
エンパスと言われる世界も同じで、静かな人もいればノイズだらけのラジオを大音量で撒き散らす人もいるのが自然です。
いくらエネルギーを高めてといっても、清濁併せ持つこの世界で、キレイなものだけをみて生きて行くことは=汚いものにはフタをしろみたいでボクには不自然に思えました。
いくら共感力があって辛いといっても、必ずどこかで共振していない自分があります。
音楽に集中してたり、本を読んでいたり、意識がそっちに向いていない時です。
必ずあります。
1番気をつけたいのは、エンパスというものに意識を持っていかれないということかもしれないですね。
信じるか信じないかは、あなた次第です!👆
東洋思想から見る全く関係
社会人1年目か2年目くらいの話。
大学を卒業して社会人になった僕は学生気分が抜けていなかった。
仕事をする意味もやりがいも当時は全くなかった。
アルバイトの延長だった。
仕事が終われば毎日のようにおっパブに行ったり次の日が二日酔いでも全く関係なかった。
お昼に仕事中でも出会い系で会いまくっていた。
「今日のお昼助けてくれる人。ほべつ2希望。」
ほべつ→ホテル代別
ということ。
総額25000円くらいになる。
強気な金額設定だな。
僕「条件はそれでいいですよ。何才ですか?」
女「15才、高校1年です。」
若くていいじゃないか。
今だったら条例違反でアウトだからそんなのには手を出さない。
今の社会人としての地位を失うリスクを考えるとそういうのに魅力は感じなくなった。
ただその頃はその当時の地位を失うことになんのリスクも感じなかったしまだその頃は今ほど社会も厳しい時代ではなかった。
それで待ち合わせをしてご対面。
そこには思っていたより10倍は可愛い15才の女の子がいた。
僕「めちゃくちゃ可愛いね。ホテル行こうか。」
女「行こう。」
出会って3秒でホテルへ向かった。
つづく
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